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第十三話 私を、娘だと、まちがえる人

ハル子さんは、私の名前を、いつも、まちがえる。

九十歳。認知症が進んで、自分の娘の顔も、もう、わからない。私が話し相手に行くと、決まって、こう言う。「ミドリ、来てくれたの」。ミドリさんは、たぶん、娘さんの名前だ。

最初、私は、まじめに、訂正していた。「ちがいます、私、ミドリさんじゃ」。そのたび、ハル子さんは、迷子のような、顔をした。見かねた桐山主任が、そっと、言った。「訂正しなくて、いいんだよ。ハル子さんの世界では、あんたは今、ミドリなの。お邪魔させて、もらえばいい」

次に「ミドリ」と呼ばれたとき、私は、はい、と、返事をした。ハル子さんの顔が、ぱっと、ほどけた。「ミドリ、あんた、ちゃんとご飯食べてる? 顔が、痩せたよ」。うん、食べてるよ、と、私は答えた。十九年生きて、初めて、誰かの“娘”に、なった。

それから私たちは、よく、しゃべった。運動会のこと。初めて作った、卵焼きのこと。ハル子さんは、私の知らない昔を、ミドリに、たくさん、話した。私は、ミドリさんが、少し、うらやましかった。こんなに、覚えていてもらえて。

ハル子さんは、桜を見ずに、逝った。最後の日、私の手を握って、言った。「ミドリ……来てくれて、ありがとうね」。私は、うん、と、答えた。最後まで、ちゃんと、ミドリで、いた。

その夜、家に帰って、私は、自分の母に、電話を、かけた。たいした用も、ないのに。「あんた、ちゃんと、ご飯、食べてる?」。母の声に、私は、なぜか、少し、泣いた。

「神マナ物語」は、小規模多機能ホーム「えんがわ」に通う、ボランティアの学生・神崎まなの物語です。 → 登場人物と舞台について(はじめに)

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