ボランティアに来て、私が、いちばん、こわかったのが、松井さんだった。
元・植木職人。八十六歳。足を悪くして、もう何年も、庭に出られない。なのに、窓ガラス越しに、庭を睨んで、一日じゅう、不機嫌だった。私が、お茶をこぼせば「せっかちだな、お前は」。何をしても、舌打ちが、返ってくる。
私の“仕事”は、ただ、松井さんの隣に、座っていることだった。何もできない私に、桐山主任が、言ったのだ。「松井さんと、庭を、見ててあげて」。庭の真ん中に、大きな松が、一本あった。枝が、好き放題に、伸びていた。私は、つい、言ってしまった。「あの松、伸びすぎて、もったいないですね。切っちゃえば」。松井さんは、ぎろりと、私を睨んだ。「素人が。──切るのは、いつでもできる。戻すのが、できないんだ」。それきり、また、黙って、庭を、見た。
それからも、私は、松井さんの隣で、ただ、庭を、眺めた。松井さんは、相変わらず、不機嫌だった。でも、私が庭を見ていると、なぜか、機嫌が、少しだけ、よかった。
その秋、松井さんは、逝った。最後まで、私に、ありがとうの一つも、言わなかった。四十九日のころ、息子さんが、えんがわに、来た。「父が、言い遺していて」。そう言って、頭を下げた。「あの庭の松は、あの嬢ちゃんに、見ていてもらえ、と」。私は、言葉が、出なかった。あんなに、叱られてばかり、だったのに。
今でも私は、松井さんの家の庭に、ときどき、寄せてもらう。あの松の前に、立って、ただ、しばらく、眺める。どこも、切らない。松井さんが、何年も、そうしていたように。
「神マナ物語」は、小規模多機能ホーム「えんがわ」に通う、ボランティアの学生・神崎まなの物語です。 → 登場人物と舞台について(はじめに)
