コウイチさんは、毎日、手紙を、書いていた。
九十歳。デイのテーブルで、一日じゅう、便箋に、向かっている。宛名は、いつも、同じ。「キミコさんへ」。奥さんの、名前だった。キミコさんは、五年前に、亡くなっている。
私は、どうしていいか、わからなかった。「奥さんは、もう……」と、言うべきなのか。でも、言えなかった。コウイチさんの、しあわせそうな横顔を、見ていると。
ある日、コウイチさんが、書きあがった手紙を、私に、差し出した。「すまんが、これ、出してきて、くれんか」。切手も、貼ってあった。宛先は、もちろん、ない。私は、その手紙を、預かった。それから、毎日、預かるようになった。事務所の引き出しに、そっと、しまっておく。何十通も、たまっていった。
ある日、コウイチさんは、ふと、言った。「あの世で、まとめて、読んでくれりゃ、いいさ。──気の長い女だから、待っとるよ」。そして、いたずらっぽく、笑った。知っていたのだ。ぜんぶ、知っていて、それでも、書いていたのだ。
私は、今も、その引き出しを、開けない。いつか、コウイチさんが、自分で、届けに行く日まで。
「神マナ物語」は、小規模多機能ホーム「えんがわ」に通う、ボランティアの学生・神崎まなの物語です。 → 登場人物と舞台について(はじめに)
